池伊田リュウの絵を初めて見たとき、ふと「風が見える」と思った。
いや、正確に言えば「風の流れが見える」と言った方がいいかもしれない。
彼女の描く風景画には、実際の景色の上に、目には見えないはずの「流れ」が重なっている。
それはまるで、普段は空気のように感じるものが、突然色を持ち、形を持ち、動き出したかのようだった。
池伊田は、自身が持つ「共感覚」という感覚を通じて、自然のエネルギーや気流の流れを視覚的にとらえ、それを絵画として表現する。
例えば、彼女の作品の中に描かれる山々は、単なる風景の一部ではない。
そこには、山を包む空気の流れや、土の中に潜む熱、地層をゆっくりと動かす力が見えるように感じられるのだ。
実際、彼女が幼いころに過ごした長野県諏訪地域は、山や湖、風が流れる場所だった。
彼女はそこで、自然の音や動きをただ「見る」だけでなく、「感じる」ことを覚えた。
木々の間を抜ける風の音、湖面をなでるそよ風の動き、山の稜線に沿って流れる雲。そういった目には見えない「空気の流れ」が、彼女の作品には息づいている。
形を持たないものを描く
彼女がこのスタイルにたどり着くまでには、長い時間がかかった。
幼少期、彼女はグロテスクな人体の構造に惹かれ、腸や歯を描くことに夢中だったという。
その後、音楽や文章など、さまざまな表現手段を試みたが、最終的に行き着いたのが絵画だった。
そして、2000年代初頭にアーティストを志すも、一時は創作から離れる。しかし、2021年にアートイベント「Independent Tokyo」に出展したことをきっかけに、再び本格的に制作を始めた。
池伊田の作品は、下描きをしない。
最初の一筆から、すでに完成の一部であるかのように、迷いなく筆を走らせる。
この制作スタイルは、彼女の共感覚による視覚情報を瞬時に捉え、キャンバスに落とし込むためのものなのだろう。
だからこそ、彼女の絵は生き生きとしている。そこに描かれるのは、静止した風景ではなく、常に変化し続ける「時間」と「動き」なのだ。
たとえば、ある日彼女が山を見つめていると、空気の流れが色となって目に映ることがある。
風が山肌をなでると、見えない力が渦を巻くように感じられる。
それはまるで、風が踊るように山を包み込むかのようだ。
この感覚をそのままキャンバスに移すのが、池伊田のやり方だ。計画的に描くのではなく、その瞬間の空気の流れをつかみ、直接画面に落とし込む。
目に見えないエネルギーを部屋に迎える
彼女の作品には、幼少期を過ごした長野県諏訪地域の記憶が根付いている。度々描かれる二つの山は、ただの背景ではなく、彼女の思考や感情、共感覚を通して見た世界を象徴する存在となっている。
池伊田の作品を見ると、自然が単なる風景ではなく、ひとつの生命体であることに気づく。
私たちが普段何気なく見ている山や川、雲の流れの中にも、目には見えない「エネルギー」が満ちている。それを、彼女はキャンバスの上で可視化しているのだ。
また、彼女は技法にも独自のこだわりを持つ。環境への配慮を考えながら、よりサステナブルな画材の選択にも意識を向けている。
絵を描く行為そのものが、自然の一部であるという考え方が、彼女の作品の根底に流れているのだ。
彼女の作品を前にすると、まるで風を感じるような感覚になる。
静かな山の絵の中に、熱を持った流れがあり、水蒸気が上昇し、風が吹き抜けるのを感じる。
これは、単なる視覚的な美しさではなく、心の奥にある何かを呼び覚ます力を持っている。
もし、あなたが部屋にひとつの風景を持ち込みたいのなら、ただの風景画ではない空気の流れや、時の移ろい、そして見えないはずのエネルギーが息づいている池伊田リュウの作品を迎えることを検討してみよう。
それは、日々の生活に、新たな視点と感覚をもたらしてくれるに違いない。